diary.

 

 

 

これは単なる備忘録。今思い出したが父は五年日記を書いていた。楽しかったことだけ書くらしい。そうすればそれだけが記憶に残るから。

 

今日は和歌山に来た。祖父母に和歌山駅まで車で迎えに来てもらった。お寿司食べた。祖父母はすごく父を心配してた。悪い方へ想像してた。話だけ聞いてるからそうなっても仕方ない。祖母は願掛けにお菓子をやめてた。かわいい。年末には家族を車に乗せて恒例の和歌山のお餅つきに連れて行きたい。祖父母はそれを楽しみにしてる。それまでに良くなるかなあって言ってた。良くならなくても車に乗るくらいできる。私が乗せる。運転もする。父のこと、歩けるの?とか言ってた。普通にお風呂一人で入ったり勝手に夜中抜け出してコンビニ行ったりしてるよって言ってあげた。

 

夜はうなぎ食べた。うなぎが美味しいのは当然だけどもゴーヤとちりめんの天ぷらがとても美味しかった。ご飯の後祖母と散歩した。次は最近できたプールに行こうという話になった。祖母は100m泳げるかどうかって言ってたけど私は25mすら怪しい。スタミナがない。筋肉もない。50mを一本と呼ぶあたり普段から泳ぎをやってる人だと思った。

 

父が浪人してたことを初めて知った。下宿中、一度も帰ってこず電話も全くよこさなかったらしい。たまに優しいハガキが届いたと言っていた(今も父は病状の報告は母に任せっきりで祖父母に一度もメールも電話もしないらしい)。父の兄弟も留年や浪人をしていて、学費がかさんだらしいが子供のためにやりくりするのは親として楽しい事って言ってた。器が大きい。就職してすぐ辞職したりイタリア人やアメリカ人と付き合ったりドイツへワーホリへ行ったかと思えばすぐやめて帰ってきたりドバイ航空に就職したり内定先が倒産したりする従姉妹の中で私は母の鞭打ちの成果もあっていい子に育っていると認識されているようで私の話は安心して聞いていられると言われた。海外に興味が薄いだけだと思う。母は、私が自分のしたいようにしかしないと嘆いているらしいが、祖母は、父を追ってイギリスへ行ったあなたの娘だから仕方ないしあの子は心配がいらないと言ってくれたらしい。はすっぱなところがある祖母と私はなんとはなしに気が合う。81歳の祖母が米寿の祖父に対して放つ死に関するブラックジョークが好きだ。身を削った笑い。勢いと魂を感じる。